ニュースピックアップNO.1

headlines.yahoo.co.jp

 

>このニュースに関して世間一般的に正しいのはおそらく武藤選手の主張でしょうが、私はそうは思いません。
つまり、「宿題は嫌ならやらなくてよい」と考えます。
そもそも大学の進学率もあまり高くない、教育水準が低かった過去の日本ならいざしらず、ほとんどの人が大学まで進学し、ある程度の教育水準をほとんどの方が享受できる現代では、昔ながらの「とりあえずある程度のところまでは皆で足並み揃えていこう的な」学校教育は世の中の流れにかなり遅れています。
所謂、日本人が大好きな仕来りや今までこうやってきたから~という流れでやっている教育方法が多く、「宿題」というシステムもそうですが、その多くはロクに見直しもされないままなんとなく続けているという印象です。
つまり、多様化している現代社会では、学校で教わる事が社会で必要とされる要素の1割にも満たないと考えていて、学校教育そのものがあまり意味がないもので、更にその中の「宿題」という小さな小さな要素にストレスを感じてまでこなさなくて良いという考え方です。大げさなようですが、「宿題」を苦に自殺してしまう子どももいるくらいで、「それくらいやらないようでは社会に出たときに通用しない」みたいな暴言は冗談でも言わない方が良いです。
また、「小さい頃は大事な事の判断が出来ないから宿題はとりあえずこなすべき」という主張もありますが、その考え方は危険で、なおさら「とりあえずこなす」みたない認識なら「宿題」は必要ないのではないでしょうか?
我々が学生だった頃よりも現在の学生は時間がないという背景もあります。プログラミングや小学生からの英語等、勉強する事は増える一方で、それが身に付くまで出来るのかというのはかなり怪しいところです。
おそらく、「嫌だから宿題をやらない」という事が単なる子どものワガママだと考える人も多いと思いますが、そこで考えなければいけないのは、思考停止して、とりあえず決まりだから「宿題」を無理にやらせる事ではなく、「じゃあ、どんな事なら好きになって自分から課題を見つけこなすだろうか」という視点だと思います。
もちろん自分から好きで勉強をしている方も多いのでそういった方はどんどん勉強すべきだと思います。
本田選手にとってはそれがサッカーだったのだと思います。
おそらく小さい頃から学校教育というか勉強をする事への疑問がある人にとっては当たり前の考え方で、「出された課題を愚直にこなす子ども」より「たとえ親兄弟だろうと、自分にとってそれが本当に大切かどうかを考えられる子ども」の方が圧倒的的に視野が広く、もちろん、後者の方が勉強の出来に関わらず「頭の良い人間」です。
おそらく、本田選手の言わんとしようとしている事の一部は、「とりあえず目の前の出された課題を嫌々こなす子ども」と、「例え、世の中的には正しくないかもしれないが、勉強より好きになれる事に全力を注げる子ども」と、大人ならどちらの応援をしますかという簡単な話です。
これって小さい頃から気づかないと中々考え方が変わらない事で、「宿題をやることが常識」だとか「宿題をやる事が将来の為になる」とかそういう思考で止まっている人間は間違いなく大成しないと思います。
小さい頃から強い気持ちを持って自分の道を自分で切り開いて来た本田選手らしい主張だと思います。
私自身も世の中の当たり前に疑問を持ち、成功者の考え方やマインドを学ぶ事が、くだらない学校教育よりよっぽど学びになると感じています。